2020年3月


3月1日 栄光をただ御名の為にのみ 詩篇115篇 宣教牧師 山宮利忠

 これもエジプト脱出の為の賛歌で、会衆、祭司、聖歌隊による応答賛歌と言われるものと思われます。三つの言葉がこの詩篇の中心となります。
1.栄光(1)
 神は、ご自身の為に事をなされます。私達が喜び、満足するためでなく、神御自身の為にことを為されます。即ちすべてのものは、神の栄光の為、全ては神の栄光を表しているのです。ですから私達は、食べるにも飲むにも、日常の茶飯事にも神の栄光の為、主がお喜びくださるように過ごすことこそ、主の御心なのです。
2.信頼(9~11)
 私達は信頼に値するものを信じなければなりません。そうでないとやがて恥を見ることになります。偶像を作る者も、それに信頼するものも同様です。正しい信頼は、生ける真の神への信頼です。このお方への信頼は、決して失望に終わらないのです。
3.祝福(12~18)
 祝福とは、繁栄と勝利を意味しました。主が共にいて下さる時には、常に勝利があり、主が共におられない時には、敗北と失敗があったのです。主キリストがもたらして下さった祝福は、罪と死からの解放であり、常に信じる者と共にいて下さる祝福です。私達は今、大いなる祝福の中にある事を感謝しましょう。ですから全てを主の栄光の為
に、全ての栄光を主に帰する心構えを確かにしましょう。

聖書のことば
「私たちにではなく、主よ。私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」
詩篇115篇1節


3月8日 私は主を愛します 詩篇116篇 宣教牧師 山宮利忠

 これもエジプト脱出の為の賛歌です。大きな危険と苦しみから脱出できた感謝と平安が歌われています。
1.大いなる苦しみ(3~4)
 死の綱に取り巻かれ、身動きできない苦しみは、人に死の予感さえ与え、最も大きな苦しみは、将来に希望を持つ事が出来ない絶望的な苦しみです。ただ涙だけは.自ずと溢れてきます。しかし、この絶望的な苦しみの中でも、主を呼ぶことの資格を持つ、神を信じる者に諦めやつぶやきに代わって、主に向かう心に希望を与えます。
2.大いなる救い(5~8)
 苦しみからの脱出を経験した作者は、いくつかの決心をします。
 (1) 生きている限り主のみ前を歩むこと(9)。
 (2) 主の前にした誓いを果たすこと。(14、18)
 (3) 感謝の犠牲を主にお捧げすること。(17)
 主が事ごとに良くして下さった事に対して何を持ってお返ししたら良いだろうとも考えます。 私達は、救い主の大いなる救いを頂いた今、なにをもって主にお返ししようかと、この作者と共に言えるに違いありません。
3.私は、主を愛します(1)
 私は、主を愛しますと言えなかったペテロは、ペテロの為にも死んでおゆるし下さったキリストの愛を知った時には、「私は、主を愛します」と言えたに違いありません。

聖書のことば
「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。」
 詩篇116篇1節


3月15日 全ての者がハレルヤ 詩篇117篇 宣教牧師 山宮利忠

 この短い詩篇の中に万民の神としての生ける真の神への賛美が力強く勧められています。三つのハレルヤについて学びましょう。
1.ハレルヤの生き方 (1)
 ハレルヤとは、ハレル・ヤハで、神をほめたたるという意味です。人の幸せは、何を信じるか、なにをほめたたえるかにかかっています。誤ったもの、正しく見えるものでも利己的なものは、やがて破滅を迎えます。その良い例はバベルの塔です。神にまで届けと築いた塔は、神の一息で破壊され、人類は一致ではなく混乱を招いたのです
2.神のご性質へのハレルヤ (2)
 ここでは、二つの神の御性質が挙げられています。一つは神の恵み、もう一つは神のまことです。恵みは、深い神の愛の現われです。放蕩息子への父の愛は、全てを包み込む愛でした。彼はその後ハレルヤの人生を送ったでしょう。神は決して裏切りません。約束を破るお方ではないのです。
3.すべての人と共にハレルヤ (1~2)
 万民の神として信頼するに足りるお方を信じて、すべての人がハレルヤの人生を送り、恩讐を越え、人類の様々な壁を越えてハレルヤの人生を送るところに、真の平和が生まれます。しかし、それは簡単ではありません。先ず私がハレルヤの人生を送ることから始めることです。

聖書のことば
「すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。」
詩篇117篇1節


3月22日(集会休止) 緊急事態への対応 宣教牧師 山宮利忠

「そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストである事を宣べ伝え続けた。」使徒の働き5章42節

 如何なる迫害、妨害の中でも使徒達は、宣教の使命を放棄しませんでした。それは教会も同じです。ですから集まりを止めるわけにはいきません。どんな形でも礼拝は継続する必要があります。
 この度の防ぐことの困難な病の蔓延に、世界中が混乱の中にある中で、私達の集合体である教会の礼拝をどうするかを悩みの中で主の御心を求めてきました。その結論は、今月末までの集会の停止でした。
 従来通り続けることは、証になりません。特に城山団地内に外から入ってきた伝道所に対する風当たりは強く,これまでも伝道所が存在するだけで度々抗議の声を聞いてきました。今回のことでさらに声が大きくなる事も考えられます。特に周囲を隣家と接している伝道所は、狭い集会所で何時間か一緒にすごす礼拝は、集まっているだけで、近所の方々に良くない影響を与えるだけでなく、私達にも感染の危険があるかもしれません。
 もし伝道所が感染源にでもなれば、今後の集会は一時の休止どころではなくなります。それぞれが、十分気を付けることは勿論の事、周囲への配慮をすることも私達の責任でもあります。(ピリピ2:4)
 また各地から集まる者の多い伝道所は、誰が感染しているか判らないという心配もあります。今回のことは、かつてない異常な事態ですが、山場と言われる今月一杯の二回の聖日礼拝を一時停止し、各自家庭、個人でしっかり礼拝の時を持っていただきたくお願いをします。今回のことが、家庭礼拝を継続するきっかけとなれば、全てを益として下さる主の御心にかなうことにもなります。
 4月第一聖日には、小泉牧師ご一家を迎えます。皆さんと元気に集い、主の御名をほめたたえたく思います。私達宣教牧師夫婦は、通常通りつくばへ土曜日出かけ、伝道所で二人で礼拝を持つ事にします。何かの必要があれば、連絡をください。愛兄姉の主の守りを心からお祈りしています。


3月29日(集会休止) 独立と牧師の招聘 宣教牧師 山宮利忠

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師としてお立てになったのです。それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を建てあげる為であり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになってキリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」エペソ書4:11~13

 教会が教会を生むことが伝道拡大の原則ですが、教会が伝道所を開設した場合、独立するまで伝道所は母なる教会の一部であって、教会組織をして初めて一個の地方教会として歩みだすことが出来ます。伝道所が教会として歩みだす時を、独立又は教会組織、発足等と言う言葉で表します。この時は祝福の時ですので、近隣の教会にもお知らせします。

独立して教会となるために必要な条件は以下の通りです。
1.教会の使命である宣教と礼拝、式典の執行の為に招聘できる牧師の資格を持つ伝道者が存在している。資格がなければ按手を受ける事
2. 霊的に物質的に、牧師と教会を維持できるだけのメンバーがいる事。
3.伝道所と母教会が独立の為に、一致した主からの導きを頂いている事。
以上が独立の為の必要最低条件です。