2019年11月

11月3日 完全におとなになる教会  エペソへの手紙4章13節 宣教牧師 山宮利忠

 エペソ書は、パウロが特に教会に関して書き送った主のお言葉です。その中で教会はキリストの体であること、その生きたお体が信仰の一致と知識の一致とに達して、完全に大人になる事などが勧められています。教会が大人になる(独立する)にはどうなればよいのでしょうか。1.成長する必要があります。(16)
 誕生した幼子は、成長してやがて青年となり、成人に達して親元から離れて独立します。教会の成長とは何でしょうか。キリストの形を宿した聖徒が多くいることであり、自らの信仰に責任を持てる聖徒のことで、一人ではなく教会が自立するのに必要な人数が与えられていることです。
2.自立する必要があります。(13)
 教会の自立とは、親元を離れて自分達だけで教会に与えられている使命を実行出来ることです。牧師を招き、礼拝を維持し、礼典(主の定め)を実行し、忠実な捧げものによって教会経済を維持し、成長に必要なものを自ら整えていけることです。また、誤った教えから自らを守れることです。
3.使命を果たすことです。
 教会に与えられている使命とは、福音宣教の使命です。教会の頭なるイエス・キリストは魂の救いの為にいのちをお捨て下さいました。そのお方の教会への命令は、全世界に出て行って福音を宣べ伝えることです。(マルコ16:15)いつまでも親元を離れないでいる事は、主の御心でしょうか。教会にはさらに教会を生み出す使命が与えられているのです。

聖書のことば
『 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。』
エペソ書4章13節


11月10日 主の良くして下さった事を何一つ忘れるな  詩篇103篇 宣教牧師 山宮利忠

 ダビデの敬虔さは、主の良くして下さった事を敏感に受け止めて、忘れずに感謝していたことに依るのではないでしょうか。何を忘れないようにしていたかを学びましょう。
1.神は私の必要を満たして下さる事を忘れない。(3~5)
 私が犯した罪を(咎)赦し、私の必要の全てを満たして下さるお方である事を忘れないことです。自分の欲望を満たすための必要ではなく、なくてならぬものの全てを、一生を良いもので満たして下さることを忘れない事です。
2.神はあわれみ深く、情け深いお方である事を忘れない。(8)
 怒るのに遅く、いつまでも怒らず、人の弱さを理解し、罪に従って扱うことをされません。しかも、私達の犯した罪の蓄積を忘れて下さいます。私達はそうではありません。いつまでも自分のしたことや人のした事を忘れず、蒸し返して怒るのです。しかし神は、弱い私達を憐れみ、赦しと和解の道を備えてくださいます。
3.ですから私達も忘れないようにしましょう。(申命記6:12)
 救われたこと、祈りに答えられたこと、主が助けて下さった事、与えられたこと、主が人を通してして下さったことをわすれないようにしましょう。そうすれば輝いた僕となり、主に喜ばれる信仰生涯を送ることが出来ます。

聖書のことば
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くして下さったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103章2節


11月17日 地は主の造られたもので満ちている 詩篇104篇 宣教牧師 山宮利忠

 聖書の教える神は、天地万物の創造主で、初めに神が天と地を創造されたのです。人は神の像に創造され、全てのものを管理するように人にお与えになりました。私達がすべきことは、このお方を誉めたたえることです。
1.その偉大さを誉めたたえるのです。(1)
 造り主としての尊厳と威光に満ちておられるお方に感謝することと共に賛美することこそが、造り主に相応しいのです。人は神が創造されたものの内に、神の偉大さと厳かさを見て、このお方を誉めたたえずにはいられません。
2.そのみ業を誉めたたえるのです。(5)
 造られたお方は、作品としての全てのものに計画をお持ちです。そしてその計画を実行し、御心を成し遂げられます。人は、支配者である神の前にひれ伏さざるを得ないのです。
3.その愛を誉めたたえるのです。(31)
 神が最も心を痛めているのは、神の形に創造した人類が真の神を知らず偶像や富をあたかも神として信じていることです。神の栄光を曇らせている私達のすべきことは何でしょうか。主を誉めたたえることです。

聖書のことば
「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。」
詩篇104章24節


11月24日 口で告白して救われる ローマ人への手紙10章9~10節 宣教牧師 山宮利忠

 神は、救いを頂く条件として何を定めておられるのでしょうか。
1. 人は、心で信じるだけで義とされる事を意味しています。
 行いによるのではありません。ただ心で信じる事によってのみ救いを頂くことが出来るのです。ただし真心から救い主なるキリストを心に受け入れなければなりません。このことは、人が如何なる立場、状態でも、信じる事は誰でも出来るわけですから、主は誰でもが救いを受けることが出来るように、信じる事を定められたといえましょう。
2. 人は、信じた事は口で告白出来ることを意味しています。
 隠れた心の内にある決心を、信じますと口で言い表すことによって、その決心が真実であることが証され、またそれを聞く聖徒たちが感謝をもって手を差し伸べることが出来る喜びの時です。このとき天でも大きな喜びがある事を知る事は大切です。
3. 人は、信じた事の告白を生涯し続けることを意味しています。
 キリストを自分の救い主と告白することは、救いを頂いたときだけでなく、あらゆる人生の場面で一生涯告白し続けることこそ、キリスト教徒としての務めであることを心に定めることです。何故なら主ご自身は、私の告白をお忘れにならず、大いなる賜と祝福を下さるからです。一生涯キリストの告白者になりますように。

聖書のことば
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
ローマ人への手紙10章10節