2019年1月

2019年1月27日 「キリストの苦しみの欠けを満たす」 コロサイ人への手紙1章21~29節

 キリストの苦難は言語に絶するものでした。それでもまだ苦しみが足りなかったのでしょうか。パウロはキリストの苦しみの欠けたところを満たしていると言います。それはいかなる意味なのでしょうか。
1. それは、教会の為に苦しむことです。教会はキリストの体です。主は教会を創設されて天の御座に着座され、教会に宣教の使命を託されました。教会は、目に見えるキリストの体ですから、パウロは教会を建設する為に命をかけ、苦闘しました。それは、主がこの世で苦しむことのない、キリストの苦しみの欠けたものであったわけです。教会の為に苦しむことは、キリストの為に苦しむことなのです。
2.それは、主によって立てられた伝道者を助けることです。牧師、伝道者は、主によって呼び出されその使命を果たすように命じられた主の器です。伝道者の側に立って、その働きを理解し、協力することが出来れば、それはキリストの苦しみの欠けたところを満たすことになります。サタンはここに最も大きな働きかけをして、キリストの体の混乱を計り宣教の妨害をします。サタンを喜ばせてはなりません。
3.それは、教会と共に苦しむことです。キリストの体は、一体でありきわめて強力な組織体であるべきなのです。各自が自分の働きを自覚して、全体の中の自分を自覚して与えられた務めを果たしていく時にこそ、体は使命に向けて強力に働くことが出来ます。
 私達は、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているでしょうか。

聖書のことば
『ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。』
コロサイ人への手紙1章24節


2019年1月20日 「わたしから学びなさい」 マタイの福音書11章29~30節

 イエス・キリストは、わたしから学びなさい。と言われました。一体何を学べと言われたのでしょうか。
1.心の優しさです。心の優しさは、人へのおもいやり、親切などが考えられますが、原意は赦すことです。赦すという言葉は、覆うという意味で、人の欠点や罪を覆い隠すことで、イエスキリストが私達の罪を自らの命をもって覆い隠して下さって、罪と滅びの生活から救って下さった事を意味しています。この赦しを頂いた者は、人の罪を裁くのではなく赦し覆うことが出来ます。
2.へりくだりです。主は、弟子達にへりくだりの大切さを強調し、この世の習わしに従わず、キリストご自身が生涯をかけて示された謙遜の徳と祝福を教えられました。おごり高ぶる者の終わりは悲惨です。しかし高ぶりの思いは神から離れたすべての人の心にあり同時にサタンの最も大きな性質であり武器ですから謙遜になるのは難しいことです。ですからキリストに学ばねばなりません。
3.与える生涯です。キリストの教えをまとめると「与える」ことです。受けるよりも与えることが幸いなのです。主は、ご自分の命を罪人に与えるほどの愛を示され、私達に模範を残されました。ですから信じる者もこの愛を人に与える事が出来ます。一生涯私達は学びの人生ですが、何を学ぶかはとても大切なことです。キリストから学ぶ者は、その人生を素晴らしく変えていただけます。

聖書のことば
『わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。』
マタイの福音書11章29節


2019年1月13日 「あなたの口を大きくあけよ」 詩篇81篇1~16節

 この歌は、毎年10月に行われた仮庵の祭りに於いて歌われていたと言われています。エジプト脱出の恵みを忘れないようにと正月に行われた過ぎ越しの祭りと、粗末な仮小屋を作って一週間過ごす仮庵の祭りは、民の信仰をリセットする大切な機会となりました。私達も新しい年を迎えて、主に対する在り方を新たにするためにアサフの歌にならいたいものです。
1.第一に、大いなる神をほめたたえることです。(1節) 賛美は単なる歌ではなく、神をほめたたえる歌です。従って主がお喜びくださるように敬虔にして、清められた賛美をお捧げするべきです。又叫べとありますので、声のかぎりを尽くして賛美することです。私達の生活に賛美が始まれば祝福がもたらされます。教会に賛美が高らかに捧げられれば、大いに祝福が注がれます。何故なら主はほめたたえられる事をお喜び下さるからです。
2.第二に、大いなる神に大きく求めることです。(10節) 神は、私達が大きく口を開けて求めるとき、その口を満たそうと待ち構えておいでだからです。求めなくても与えられると思ってはなりません。小さく求めるのではなく、自分の為にではなく主のご栄光の為に、大きく求めることです。常識的、非常識にではなく、超常識をもって求める事が必要です。主は、栄光の富の中から私達の必要を満たしてくださいます。
 新たな年を迎えて、私達の群れにも大きな祝福が必要です。後継者の必要の為に、新会堂の為に、教会独立の為に大きく口を開いて求めましょう。
 主は、私達の求めに必ずお答えくださいます。

聖書のことば
『わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。』
詩篇81篇10節


2019年1月6日 「私たちをもとに返してください」 詩篇80篇1~19節

 この詩の中心となるお言葉は、「神よ,私たちをもとにかえしてください」です。大きな力で蹂躙された選民イスラエルが、折角エジプトから脱出して、約束の地に住みついて実を結びつつあったのにすべて破壊された今、私達をもとに返してくださいと訴えます。
1.私がもとにかえる事こそが、大切なことです。(3,7節) 環境や物ではなく、私自身をもとの場所、もとの私にかえしてもらうことこそが大切なことです。ここには、自分が帰ることの大切さが見えませんが、全てのものが元通りになるためには、自らが神に立ち返らねばなりません。この破滅的な状態を招いたのは、自分たちの神への不従順が原因でしたから。ですから、返してくださいではなく自分が神に帰らねばならないのです。その時全ての物は元どおりに主が返して下さるのです。
2.私に御顔を向けて下さっているので救われます。(19節) 確かに旧約の時代は、神が共にいて下さる時には、あらゆることに勝利があり。御顔を向けて下されば、事は順調でした。しかし神は、今私達の救いの為にイエス・キリストとなられて、救いをもたらしてくださり、全ての民に手を広げ、御顔を向けて私のもとに帰って来なさいと招いておられます。主が帰ってきてくださるのではなく、私が帰っていかねばならないのです。
 放蕩息子が自分の家に帰っていったように、みじめな自分をありのまま示して父のもとに帰っていかねばなりません。そこに救いがあるのですから。

聖書のことば
『万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。』
詩篇80篇19節